ゴミ捨て場日記、初投稿

私のゴミ捨て場ということで10分くらいで簡単なサイトを作ったわけだけど、まぁぶっちゃけただの日記。

なんだかどこかに思いを発散するところが欲しくて作った。正直すぐに存在を忘れるかもしれない。

というかその可能性は割と高め。

今までは普通に紙のノートに日記を書いてたんだけど、実態があると流出の危険性がある。というか自分が死んだ場合ほぼ100%家族に読まれる。だからネット上においておくことにした。

Xとかもなんだか個人がバレそうだから、ブログにした。

これが一番匿名性が期待できると思う。たぶん。

アフィリエイトに挑戦した過去が役に立つよね。レンタルサーバーもあるし、ブログの開設なんて10分もかからないし。

家族にはログインされない限りバレないから死んでも大丈夫。たぶん。

ネットの世界に100%の匿名性もないだろうから若干の不安要素はあるけど。

例えば紙の日記に「性の悩み」みたいな超トップシークレットな内容は書き込めますか?答えはNoだよね。誰に見せる気もさらさらないのに心のほんと端っこの方で、いつか家族が読むかもしれないと考えて書いてる自分がいるんだよね。これって共感してもらえる?だから100%本音で記録できないんだよ。

ちなみになんか性について語りそうな感じになってるけど、別に今のところ性の悩みはない。

かといってネットに載せたら不特定多数の他人が見ることが可能となるわけだけど、個人が特定されない限りはそれになんの羞恥心も生まれないはず。

これは例えるなら、知り合いに裸を見られるのは論外だけど、顔出ししないでAV出演するならOKみたいな感じだろうか。自分は男だからAV出演する女性の胸の内なんてわかりようもないんだけどね。想像してみました。

という感じでちょっと下ネタっぽいことも親バレする可能性があったら書けようもないからやっぱりこの選択は正しい気がする。

さっきXは身バレしそうって書いたけど、実際のところXで好き放題やってる人も数多くいると思う。

ただ自分は10年くらい前に、Twitterでサブ垢を作ってポエミってたところ、Twitterを始めたばかりの親から本垢と間違えてフォローされた過去がある。ということは学校でも絶対みんなにバレてたと思う。死にたかった。速攻でアカウント削除した。

そんなトラウマもあって今回はブログを日記にすることにした。

さっきアフィリエイトをやってた話をしたけど、そもそも昔までのブログっていうのは個人の日記がほとんどだったのに、今では全部お金稼ぎになってしまっているよね。まぁ今知らない誰かのブログに興味を持つ人なんか存在してるか微妙だから当然の流れとも言えるね。

まぁブログを作った経緯はこんな感じでいいよね。(俺は誰に言い訳をしてるんだろ。。。)

本の感想

ブログに見出しいらねーだろって感じだけど、段落を切りたくなるのはアフィリエイトやってた性分かな。

で、これから吐き出したかった思いを吐露していくわけだけど、これはタイトルにもあるようにゴミ捨て場だから。ここにあるものはゴミみたいなもんだから文句言わないでね。

今「君の膵臓を食べたい」を読んでるんだよね。元々全くと言っていいほど小説を読まない人間だから、ちょっと文学少年みたいになりたいなって思って、難しい言葉知ってたらかっこいいじゃん。そんな不純な動機でこの前2冊本を買ったんだよ。1つ目が湊かなえさんの「告白」でこれは1週間足らずで読み終わったんだけど、なかなか没頭してしまった。

元々サスペンスって暗い曇天みたいな空気感が漂ってるからあんまり好きじゃないんだけど、友達がおすすめするから読んでみたら、すごいスラスラ読めて面白かった。まぁ正直暗い曇天みたいな空気感がとっても濃厚でしたけど。

ちょっと本の感想だけど、この小説のテーマって、少年法に守られた法で裁かれない存在があって、けっきょくその犯した罪はどのように償われるのか。ってことなんじゃないかなと思った。

教師の子供が生徒に殺されて、その生徒は若さゆえの達観気取りで反省することはない。その上少年法があって法で裁くこともできない。しかも教師という立場で生徒を殺すというのもまた許されることではない。まぁ教師じゃなくてもダメだけど。

HIV感染者の血を飲ませる、この復讐方法を考えたのはとても恐ろしいけど、賢いと思った。

確かに当人が死ぬ可能性を示されて、死について深く考えるきっかけにもなるし、直接手を下すわけでもない。罰としても妥当だと思う。ただけっきょくこれは倫理観に反する。だから世直しやんちゃ先生に止められたわけで。

そして最終的にはサイコ少年の殺人対象を不特定多数の良民から本人の最も愛する人であり母親にすり替えるという手段で復讐を果たしてるわけだ。

これも実際のところ人を殺そうという意志がこの少年になければ誰も死なない。つまりは責任は少年にあるわけで教師が殺人するわけではない。爆弾の移動はバレたら犯罪の手助けにはなるだろうけど。

この物語で最も興味深かった点は、けっきょく殺人に関わった少年二人は最後まで生きていて、その二人の母親が死んだってこと。結果だけみたら子供の殺人の責任を生みの親がとった図式になっている。

少年を裁けないならその責任はけっきょく親にまわってくる、そんなメッセージ性を感じた。

少年達のせいで教師は最も大切な我が子を失い、少年達はある意味教師のせいで最も大切な母を失う。これはなんとも理にかなった復讐だと感じた。

そんなこんなで今は「君の膵臓を食べたい」を読み始めたんだけど、「告白」とは対照的に明るくて青春で晴々する。まぁどちらも死について考えさせられるんだけど、これら二つの死は同じ死でも違う意味を持つ気がしてる。

ちなみに「君の膵臓を食べたい」の映画は観たことある。確か感動して泣いた気がする。小説でも泣けるだろうか。楽しみ。

生きる意味を感じない件について

散々本で死について感じたくせになんだけど、今回吐露したかった思いってのはこの生きる意味を感じないことについて。

正直いうと、自分はいつ死んでもいい気がしてるし、別に生きていたいと思ってもいない。死にたいわけでもないけど。

けっきょく人生ってのは生まれたから死ぬまで生きるっていう行為に過ぎない気がする。もうアラサーの男がこんな達観した中学生みたいな思いをいまだに言っているのもお可愛いかもしれないけど。

でもこれは別にネガティブな感情ではない。この世界には多くの生物が存在してる。植物も微生物も含めたらどれだけの命が存在するだろう。人間って人間を過度に特別視する傾向があるけど、正直この世の生物なんて地球を形成する要素、細胞のようなものに過ぎないのではないかと思う。

確かに人類は宇宙に到達したけど、じゃあ宇宙ってなんだろう。

よく思うのは、雨の日に目の前を落ちるひとつの雫の中に、目には見えない顕微鏡でも到底見えないくらい小さな世界が広がっていたとして、その中には宇宙があり星があって、生物がいたとしたら、地球だってそんな感じかもしれない。その可能性は絶対にないとは言えない。だって人間がどんなに頑張っても認知できないものは絶対に存在するはずだから。

こんなことを言うとこの世界が無意味に感じたりもするけど、必ずしもそうではない。

つまりわからないことは考えても無駄ということで、裏を返せば今感じてる世界、見えているものを信じて、天寿をまっとうするくらいしかできることなんてないってことで。

そう考えたらなんのために生まれてきたのかなんて不粋な話は必要なくて、もうすでに生きているのだから悔いなく死ぬことを考えるほかないんだって結論になる。

その上で、だ。正直に言って自分の人生は中学生くらいから全くいいとこなしだった。

友達だと思っていた人達に裏切られたり軽んじられたり友達じゃないと認識を改めさせられたことは数知れず、好きな人には嫌われたり自分の嫌いな人と比較されて自尊心を傷つけられたことも少なくない。

正直別に顔も性格もスタイルも普通だし友達も普通にいたんだけど、中学生のこの体験から友達という存在がわからなくなって、集団の中に渦巻く人間の汚点が目についてどんどん孤立していった。

自己肯定感が地に落ちた一匹狼のように生きてきた人生には思い返してもろくな思い出がない。

ろくに勉強もせずに大学に入り、生活費のためにバイトばかりして大学にも全然行かず、中高までは冴えない人生だった奴らが大学で華々しいデビューを飾るのを尻目に、友達も彼女もいないクソみたいなキャンパスライフを送った。実は高校を卒業してすぐに彼女ができたことがあったけど、2ヶ月足らずで破局したし、その後は全くだ。

社会人になってブラック企業に入ってからはもっと辛い人生だった。まぁそれはいいとして。。

とにかくそんな中学の闇があとを引いたまま、現在でも友達がなんなのかよくわからないし、彼女もずっといない。こんな状態でアラサーなんだからもう取り返しがつかないかも知れない。

職場を変えて新しいコミュニティができた。でも友達って何かわからない。みんなと分け隔てなく、それなりに仲良くできてるけど、プライベートでご飯に行ったりすることはない。

この前職場で一番仲良くしてくれてた人が会社を辞めた。その人の最終出勤日、なにやらみんなが話してる会話を聞くと、「昨日は楽しかったねー!」「あんな10人以上で夜中まで遊んだのなんて何年ぶりだろー」なんて話してた。自分は知らなかったんだけど前日にその人の送別会があって、職場のほとんどの人が来ていたし、行けなくてもみんな招待はされてたことを知った。

普通にみんなと仲良くしてたはずなのになんでだろ。なぜいつも知らないうちに蚊帳の外なんだろう。

と思いながらも、正直こういったコミュニティから排されることは至極当然のことだと認識してしまう自分がいる。そして学生時代からその中で孤立してきた自分はこれをちょっとショックだなーとしか感じないのもなんだか寂しい気がした。

コミュニティの中で生きられない、彼女や友達のようにお互いを思える人が家族しかいない。家族仲がいいだけ幸せなのだけど。他に没頭できることも好きなことも特にないし、人生が本当につまらない。

そんな感じで、正直家族がいるから生きてるだけで、逆に家族がいなかったら、家族仲が悪かったらと思うと本当に生きる意味が0になってしまう状態だ。現代社会では別になにも珍しいことではないのだろうけど。

生きるだけでも衣食住を確保する必要性が生まれて、そのために労働が必要になる。労働するならストレスのかかることでも我慢する必要があって、そのストレスを溜めてでも生きる意味があるのかと問うと、正直なところない。

あ、別に自殺志願者じゃないから安心してほしい。ただ自殺する人を別に可哀想とか思わないし、別に全然わかるなーって感じではある。

ポジティブシンキング

ここまで心の空虚さから逃避したくて戯言を並べてきた始末なんだけど、まぁ正直10年以上常時うつ状態みたいな自分にはここからなんとなくポジティブな方向に誤魔化していくことなんて造作もない。

というわけでどうやったら彼女を作れるか真剣に考えてみたい。自分より大切な他者の存在が生きる糧となるのではと思ってはいるんだよね。ここ10年くらい。

まずは自己肯定感が終わってる件について。元々終わってたけど、最近の「みんなそこそこ仲良いと思っていたのに送別会の存在を事後に知った事件」でまた砕け散った。これは数週間で修復はできる。ヒビだらけだけどそれは昔からだから大丈夫。そして自信が全くない件については筋トレがいいかなって思ってる。

とにかく筋トレさえやっていればそのうちいい体になって自信がつくはず。ジムに行くのは憚られるのだけれど自重でも継続してやってみたいと考えてる。

あとはやっぱり出会いの場を作ることだけど、正直新しいコミュニティに入ってもまた浮くのは時間の問題だし、マッチングアプリはやったことあるんだけど女性不信を助長させるからほんとやりたくない。そもそもマッチングアプリにはろくな人がいない。でもまともな女性にはもれなく彼氏がいる。魅力的な女性は99%いる。もちろん彼氏がいてもどうにかなるなんてありえないし、考えたくもない。

この「出会い」こそが一番の難点。なんて言ってるけど、本当はどんなにいい人に出会ってその人がフリーでも、その先の恋愛の進め方がわかんないから無理ゲーなんだよね。

てなわけで彼女を作るのは無理という結論に到達した。

それならペットはどうだろう。人間よりも数倍犬や猫の方が好きな自分としてはそれだけでハッピーになれそうだけど、今はペットを飼える家でもないし、一人暮らしで飼うのって難しくないかな?

まずは仕事で成功してある程度いい家に引っ越して、なるべく労働時間を少なくて済むように労働集約型モデルの仕事から解放されて、満を持して犬か猫と暮らそう。それなら絶対幸せになれるはず。

というわけで当面の目標は仕事である程度の成功を収めること、ということになりました。

詰まるところ仕事で成功するまでは無意味な人生をなんとかお酒で誤魔化していくしかないの。

お酒とたまに食べるピザとかステーキで幸福だと錯覚していけばいいの。

スレた芦田愛菜ちゃんみたいになってるけど気にしないの。

おわり

けっこう思いを吐露できたと思う。やっぱりこういうのって自分の半生から入るよね。

これが最初で最後になるかも知れないけど、また気が向いたら書いてこうかな。

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